Livre para Viver

日本語とポルトガル語とその周辺

なんだか遠回りした人生だったけど、これでよかったのかもしれない

美濃加茂市長:愛知県警、聴取へ…事前収賄の疑い - 毎日新聞

美濃加茂市長が、事前収賄の疑いで事情聴取というニュースを聞いて、29歳、おない年だなーという印象を受けました。

事前収賄については、まったく興味がないのでここでは、取り敢えずおいておきます。

29歳という年齢にも達して、学生やっていたり、細かな仕事で食いつないでいたり、世間様に顔を見せられない日々を過ごしております。

なんだか、子どもの時には想像もしなかった人生を送っているなぁ、とふと思いました。

高校生の頃は就職氷河期、大学卒業時は売り手市場

高校生の頃は、就職氷河期と騒がれておりました。

ちょうど、マックや牛丼の価格破壊が起きていたのが、高校生の頃でした。

このころは、就職のことなんか考えていませんでした。が、大学も決まらず、取り敢えず、ガッコの先生の、「悩んでいるなら理系に進め」というお言葉の元に、理系のクラスに行きました。

その後、8月頃に文転。もう、文系に決めた時点でポルトガル語を勉強すると決めていましたから、関東のポルトガル語専攻がある大学(3大学)しか受けませんでした。

高校生のころ、最も熱中した本の一つに、方言を扱ったものがありました。

これが、たぶんことばに興味を持つ切っ掛けのひとつだったんだろうなぁ。

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

 

 大学に入ると好景気・・・なのに大学院に

大学に入ったら、景気が回復し、就職も買い手市場だといわれるようになります。

ブラジルに1年間留学したのち、帰国。すでに4年生になるところでしたから、例に漏れず就職戦線に乗ります。疑問を感じながらも数社ほど受けます。

しかし、卒業研究が面白く、これはもう少し研究したいぞ!っと思うようになりました。

ずっと続けていたアルバイトも一定の信用は得ていましたし、恩師から紹介して頂いた翻訳の仕事で経験を少し積むことが出来たので、食いっぱぐれることはないだろうと、大学院に進学することになりました。

大学院に入ったら・・・

大学院に入ると辛かったのは、「いいなぁまだ学生でいられてー」的な目です。

学生の分際で的なことを言ってくる人もいました。もうこれは結構辛かったです。

なんだか、自分が悪いことをしているような気分になっていました。いまだに、会社に向かうであろうサラリーマンに紛れて通勤電車に乗り、非常勤のお仕事や、時間給のお仕事に行くことに、「すいません、私などこんなところにいちゃいけないんです。」と思いながら乗っています。

そして、「好きなことしてるんだから、文句は言うな」って周りの人に思われてるだろうなーって、どうしても思ってしまって、つらさを口にすることはあまりできません。

結婚することになるとは・・・

そんなだったので、次の理由から結婚はできないだろうなぁと思っていました。

・収入が少ない(年収150万にもならないときもある)(知恵袋とか小町とか見てると、年収少ない男は仕事もできないヤツとか、現実を見なさいとか書いてあるし・・・)

・身分が不安定(いつ仕事が来て、いつ来ないか分からない)

・夢追い人(バンドマン的なこと)

・博論が書けない(これは自分の問題)

だから、28歳にして結婚し、20代のうちに子どもを持つことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

妻は、こんな自分でも、応援すると言ってくれましたし、いつ定職に就けるのかも分からないけれども、「あなたが好きだから」と言ってくれました。本当に感謝です。

私が、たまたま検索結果に出てきた小町や知恵袋の記事を見て、「こんな自分で本当にいいの?」と聞いて、喧嘩になることもありました。

結婚してからは、「自分なんかいなければいいのに」とか「死んじゃえば楽なのに」と思うことは極めて減っています。

それは、妻が今の自分を受け入れてくれるから、なのだろうな。拒絶されず受け入れられることって何よりもありがたいことなんだろうな、と感じます。

最後に

という人生でしたが、今の妻と結婚できたこと、2人の子どもができることを考えれば、そんなに悪い人生でもなかったのかなと思います。

取り敢えず、今は、博論の執筆と、常勤の仕事をゲットできるよう、日々頑張って行かねばと思う次第でございます。(お仕事は随時募集中でございます。)

感傷にふけるのはここまで。今日も、元気にポルトガル語を教えてくることにします。

ニューエクスプレス ブラジルポルトガル語

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