Livre para Viver

日本語とポルトガル語とその周辺

もしもブラジルに行かなかったら・・・(2)大学に行かなかっただろうし留学もしなかった

ブラジル、7対1で負けてしまいましたね。

前半だけ見て、途中から横になって携帯をいじってしまいました。

3位決定戦が行われるそうですが、また負けちゃうかな・・・。

さて、「もしもブラジルに行かなかったら」シリーズ。誰も興味ないよと言われればそれまでですが。

もしもブラジルに行かなかったら・・・(1)ポルトガル語なんか話さなかった - Livre para Viver

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photo by Fernando Stankuns

サンパウロ美術館

日本人学校はカルチャーショック

これは、ホントにそうだったかもと、今でも思います。

地元は、首都圏のはずれ。(はずれっていうと、千葉とかイメージする人いるけど違います。)

私の近所では、大学に進学する人の方がマイノリティでした。

ブラジルに行くことになり、サンパウロ日本人学校に通うことになったわけです。(

サンパウロ日本人学校

サンパウロ日本人学校に来ていた人たちは、日本でもそれなりに知名度のある会社に勤めている方の子どもが大半を占めていました。

そのため(?)、多くの人は、埼玉南部、東京や神奈川の東部出身の人でした。

千葉はそもそもマイノリティ。成田なんかから来ている人はいませんでした。

(私の地元は、成田空港に向かう高速道路で通ります。友人のお母さんに、「キミの地元って、あの成田に向かう時に通るところだよね。インター周辺が一番栄えてるの?」「はい」「(軽蔑の眼差しで)あんなとこに住んでいたんだ!」って言われたくらいです。)

大学に行かずに地元に就職したり、農家を継いだりする人が割と多かった地元でしたので、塾はあっても、学校の補強のための塾ぐらいでした。(サピッ◎スみたいな塾は、電車で50分くらいかけないと近くになかった。)

ですから、もう何から何までカルチャーショックです。

勉強のレベルもあまりにも違いすぎました。

ですから、日本人学校に移ったらすぐさま落ちこぼれに・・・。まわりは、中学校に上がるか上がらないかぐらいから、「大学受験のためにはー」とか何とか言っていました。

学校では落ちこぼれでしたが、一時帰国で日本に帰ってきて小学校に一時的に入ると、クラスの大半より早く問題を解き終わったりして、「あ、日本人学校ってレベルが高いんだ」というのを実感していました。

大学なんて想像もしなかった

だから、大学に行くことなんて、予想だにしていませんでしたし、日本にいたら、高校卒業後就職をしてたんじゃないかな、と思います。

また、高校も、地元の高校に行ければいーやとおもっていたのですが、何を間違ったか、私立の進学校に通うことになりました。(地元は、私立といえば、公立に落ちた人が行くところ、というイメージ)

進学校に行ったら、みんな大学進学。いやがおうでも、大学進学という道も考えることになります。

そんなこともあり、大学に進学したわけです。大学に進学しなかったら、留学もしなかったのだろうなぁと思うわけです。

結局、いまは、大学に行ったからこそできる、日本語の研究や日本語・ポルトガル語の教育のお仕事などに携わることができているわけですから、やはり、ブラジルに連れて行かれたことは、自分の人生の大きなウェイトを占めているなと思うわけです。

不思議なものですね。人生。

 ※ブラジルにいた頃流行っていたレッチリ。好きだったなぁ。(今も好き)