Livre para Viver

日本語とポルトガル語とその周辺

日本語が言語的にマイノリティーになったことによる疎外感を気付きにつなげたい

以前、こんな記事を書きました。留学生と国内学生が共に学んでいる文章表現のクラスの話です。

b.livreparaviver.net

クリティカル・リーディングの基礎の練習で

ここで書く出来事が起きた授業はクリティカルリーディングの基礎を学ぶ授業の2回目でした。

その前の週は、テーマや主張、主張へいたる論証をまとめ、まとめ方を練習しています。

来週は、次の書籍からの抜粋を使って、要約する予定で、同じ著者の別の本の抜粋を使って先週に続き、まとめる練習をするというのが、先週の授業でした。。

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない

 

例によって、留学生も、そうではない学生もくじ引きでグループを決め練習をしました。

統制をしているわけではないので、留学生の方が多いグループや、国内学生の方が多いグループが生じてしまいます。

そうしてできたのが、留学生3名と国内学生1名のグループでした。

学生からのコメント

学生には、授業の最後にコメントを書き、提出してもらいます。

その中である学生から、以下のようなコメントが・・・

 留学生3人対私の授業は辛かったです。留学生3人が内容を理解できなかったようで、終始、母語で話し合ってしまい、疎外感を感じました

前半部分に関しては、授業の中で伝えていくしかないかなーと思っています。

難しく感じている人は、留学生であっても国内学生であっても予習をして挑むこと、というのを強くお願いするしかないかなと思っています。

学部学生が自由に履修できる授業なので、授業内での留学生に対するフォローは難しいところです。*1

「疎外感」は気付きに繋げたい

さて、後半部分に関してが、ここで、取り上げたいことです。

終始、母語で話し合ってしまい、疎外感を感じました。」

留学生同志が母語で話しているところに、留学生の母語が分からない人が1人自分だけいる環境。

学生は不満として、取り上げています。母語で話しあったら、日本語しか分からない自分が話に参加できず、真面目に取り組もうとしているのを阻害されたような気分になると思います。こういった学生の不満も出てきて当然かなと思います。

それに、授業の方針としては、「(留学生も含めて)日本語でグループワークをしながら学ぶ」ということをかかげていますから、日本語でのグループワークをするように今後も促してはいきます。このことは、揺るぎありません。授業のやりかたを工夫して、改善をはかっていきます。

ただ、「疎外感を感じた」というのを不満としてのみ捉えるのではなく、気付きに繋げて欲しいとも思います。

日本語話者がマイノリティーの日本で、自分が言語的にマイノリティーになるという状況はなかなか実現されません。海外に行くか、外国人コミュニティに自ら入って行くことぐらいしかないかもしれません。*2

グループ内で、自分が言語的にマイノリティーになることで、日本国内にいる日本語を母語としない人たちが、同じように「疎外感を感じているかもしれない」ということへの気付きにつなげて欲しいなと思っています。

このことは、留学生が半分程度を占める授業でしか、実現できません。「留学生がいて意思疎通が難しくて面倒臭いや」ではなく言語的にマイノリティーになるということはどういうことなのか、分かって貰えるといいなと思います。

f:id:yamagen98:20140901002048j:plain

将来の仕事にも

福祉系の大学の授業での出来事だったのですが、将来社会的弱者と関わる仕事に従事する人も多いと思われます。

自分がマイノリティになるという経験を授業でできることで、将来社会的弱者がどのような思いで生きているのかに思いを馳せることに繋がるのではないか、と考えます。

将来、社会的弱者と関わるときに、このことを思い出してくれればと思っています。

 

*1:混合グループにしているのは、国内学生からのフォローを受けられるように、という意図もあるのですが、留学生・国内学生の双方に壁があることもありそうです。

*2:このことに関連して、先日、面白い話を留学生別科の学生から聞きました。彼女が働いているバイト先(居酒屋)はネパール人がほとんどで、日本人数人と、中国人1人という環境のようです。そのため、店員同士の会話は、ネパール語だったりすることもあるようです。国内にありながら、日本語話者がマイノリティであるという環境。国内でも、このような環境は増えつつあるのかもしれません。