Livre para Viver

日本語とポルトガル語とその周辺

ケータイ小説の言語学的研究

ケータイ小説という分野があります。

ネット、携帯電話の普及で、だれもが活字を書いたり読んだりすることができるようになりました。

この誰もか活字を書けるようになったということで、変な話、いままでは、誰かが書いた作品は、校正者の手によってチェックされ、さらに著者の手によって確認され、それから出版されるという「つくられた」ことばだけでなく、より普段から使われていることばにちかいことばを用いたものが誰にでも読めるようになってきたということです。

そして、ケータイ小説というジャンルがある以上、そのジャンル(メイナード2008)には、ある一定の共通した言語学特徴があるのではないかと思われるのです。

一般にケータイ小説は、若者に好まれており、それもティーンから20代前半の若者が読むものだとされていますし、実際そうでしょう。

時が経つにつれて、ケータイ小説を読み始めた(書き始めた)世代が歳をとり、ケータイ小説に触れる世代も広がることも考えられますが、主な読者は、やはりティーン後半から20代前半になるのではないかと考えられます。

それは、携帯を親の監視から逃れ自由に使えるようになる高校生くらいの世代から、大学生までに相当します。

大学(や専門学校、短大)を卒業すると仕事に追われ、パソコンを持ち始めるため、携帯でネットをする時間はおそらく減っていくだろうからです。

また、成熟し、携帯小説が稚拙に感じられてくるとも考えられます。

脱線しましたが、携帯小説はいままでにない、多様な表現者が多様な表現形態を使って書ける新しいメディアです。

しかし、ここにも、携帯という単一かつ制限の多いメディアを使っており、読者(作者)の年齢層も限られていることから、彼らに受け入れられない作品は淘汰され、なにか類似性を持った表現形態が出てくるのではないかと考えられるのです。

携帯小説が普及しだして数年が経ったいま、人気を博した作品は書籍化されるまでになっています。

だれもが読めるというメディアを活用した携帯小説の言語学的な研究もおもしろいのではないかと漠然と思っています。

参考;

メイナード・K・泉子(2008)『間ジャンル性と意味の想像』くろしお出版.